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40年前の茶髪


 私は転居・転校の多い幼少時代を過ごした。
 よそ者として,異分子として,多対一で好き放題に弾かれたり苛められたりしながら,必死で新しい環境に根をおろしても,2年くらいでその努力が水泡に帰す。
 全部,消滅してしまう。
 やっと馴染んだ町も友達も,ある日突然奪われてしまう。
 だから今でも,人間関係が持続すること自体が信じられない。持続すればしたで落ち着かない気分になり,全てをリセットしなければならないという強迫観念に囚われる。
 大体2~3年おきにその「自己環境破壊衝動」に襲われて鬱になる。耐えていると次には自己破壊衝動が湧く。だから失業してみたり,レベル99のゲームデータをリセットしてみたり,サイトを再編集してみたりする。どうもこの精神傾向は一生直らないらしい。

 どれだけ努力しようと,その成果が勝手に,いつか,「自分のせいでもないのに」奪われる。こういう体験を何度か繰り返したせいで,私は10才になる前に厭世的な子供になっていた。

 小学校4年生の2学期の始め,転校生として教室に入った時,私の気分はもちろん最低最悪だった。
 しかし新しい級友の中に,一人だけ際立って目立つ明るい茶色の癖毛の男の子がいた。目の色も明るく,顔立ちは完全に外国人だった。日本人の中にただ一人,アメリカ人の少年が混ざっている,ように見えた。

 私はその子を見て反省した。
 容姿の段階で,まさに文字通り「皆と毛色が違う」子に比べたら,黒髪黒目の自分などラクなものではないか?
 人とひき比べて自分の幸せを再確認するのは,非常にタチが悪いことだが,当時の私はしみじみとそう思い,再び新しい環境で頑張る気になった。

 後にわかったが,その子の父親は米軍基地関係者で,数多く兄弟姉妹がおり,名乗っているのは日本人の母親の姓だという。かなり過酷な状況が想像される身の上だ。その頃の「混血児」とは,ときに激しく差別される対象であった。特に,「米軍基地関係者が日本の尻軽女に産ませた子」とかいうオプションがあれば,色眼鏡で見られることは避けられなかった。子供には何の罪もないのだが。

 彼自身も彼の姉妹も,変わった名を持っていた。漢字を当てているが,明らかに欧米人名を日本名に変化させた感が強い。由来を知りたかったが,風変わりな名の意味を尋ねるのは,「お前の名前は変だ。混血だからか」と嘲笑した感じになりかねないと思った。だから小学校4~6年までずっと級友だったのに,ついに質問はしなかった。

 私は中学2年で再び転居したので,その子の消息は知らない。
 転居から数年後,図書館の本で,聞き覚えのある響きの名前を目にした。
 かつての級友の名の響きが,カナとアルファベットで表記されていた。

 欧米個人名の語源や由来を調べるようになってから気がついた。
 彼の名はとても良い語意だった。しかし,彼の生誕事情を考えると皮肉な意味なのである。もし私が彼で,自分の名前の語意を知ったら怒るだろう。
 こんな過酷な環境で育つことを強要しておきながら,この名前かと。

 彼の姉妹は花の名前を与えられていたのだが,割り砕いた短縮形のため,花びらを千切り捨てたような雰囲気さえも感じられる。(個人情報なので具体的な名前は出せない)

 しかし「諸事情で子供を自分の籍に入れられなかった父親が,せめて名前だけは与えようと,英語名をもじった名前を考えた」という可能性も考えられる。

 そう考えたほうが美しいだろう。

 40年前の9月,教室の窓から差し込む光に照らされ,周囲から浮き立つように輝いていた茶髪。
 私はあの眺めをまだ忘れられない。

[Last update 2009/12/20]


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